「亡念の

ザムド」、20話まで観た。一応PS3配信でしか観れないということなのであんまり話題にもなってないみたいだけど、結構面白いんじゃないかと思う。
登場人物のテンションがやけに高い。ハイになってるとかそういうことじゃなくてhighly tenseのほう。張りつめている。無理して平静を装ったり明るく振る舞ったりするキャラクターたちが痛々しい。で、プッツン続出。ですよね、と。ここらへん極めて今日的なような。さらに言えば各々が複雑な過去やら思いやらを抱えているっぽいのに、独白とか回想とか内面の直接的な描写がなくて、それぞれのキャラクターの「言ったこと」「やったこと」以外にそれらを知る手がかりが一切与えられないというのが宙吊り感を出しているような。
コミュニケーションの不可能性が描かれている。郵便というモチーフが扱われているのがわかりやすく隠喩的。手紙は届かない。ならばと会いに行ってもすれ違う。エクリチュールはもちろん、現前のコミュニケーションであるパロールも失敗するしかない。言葉は届かない、コミュニケーションは原理的に不可能である、ということ。しかしそれでも我々はそこに賭けるしかない、相手に対して呼び掛け続けることしかできない、ということ。
シーンが切り替わる時、「声」からのことが多い。まず現在のシーンの外部にいるキャラクターの声が聞こえてきて→映像がそっちのキャラクターたちのシーンのほうに切り替わる、という演出。意識的にやってるのだろうと思う。効果についてはよくわかんない。てかそもそも演出のこととかわかんないし考えるのダルい。
→あー、「結構面白いんじゃないかと思う」とか書いたけど、ストーリーとか設定もなんかうろ覚え的であんまり把握してないし、実は「ザムド」はただちょっと凝ってるだけでかったるいアニメなのかもしんない。俺は全然「観れてないひと」なのかもしんないなあという気がしてきた。アニメあんまりわかんないのかなあ、と。というかこの頃は同世代の書いた批評文とか読んでるせいでそういうひとたちに比べて自分が全然わかってないひとなんだということを思い知らされる日々。アニメだけでなくて小説とかマンガとか映画とかでも。はあ。
何かのオタクになりたいなあ、と時々思っていた。でもなれなかったのだった。まったくもってどこまでもスキゾなのだった。はあ。




うちのスナネズミのチュウ也君。
so cute!!