やってる感

LANケーブルによる旧PC→新PCへのデータ移行計画は失敗に終わりました。
3時間くらいかけていろんな設定をいじくってみたのですが結局エラーが出てどうにもなりません。どうも旧PCのほうに僕では解消不能な問題があるっぽい。なのでLANでの移行はスッパリと諦め、SDカードを利用して地道にお引越しすることにします。2GのSDを使えば40回くらいの往復で完了するはずです。思えば最初からこの方法でやるべきでした。「ホームLANとか組んじゃうPC詳しい俺」に酔っていたのかもしれません。SDカードを何回も抜き差しするよりは、LANの設定とかしたほうがより「やってる感」があるところに騙されてしまったのです。
このように人間は「やってる感」に弱いですがしかし「やってる感」があるからといってそれが本当に目的を達成するための効果的な方法なのかどうかは怪しいものです。
勉強の例で言えば、「ノートを綺麗にとる」ことや「テスト前にすばらしいまとめノートをつくる」ことに命を賭けているひとというのはよくいますがしかしそんなことをやっている時間と労力を「授業を集中して聞く」ことや「参考書をじっくり読む」ことに向けたほうが明らかに効果は上がります。「やってる感」に騙されてはなりません。
仕事とかでも「成果は上げているがあんまやってないっぽいひと」よりも「成果はイマイチなんだけどすごくやってるっぽいひと」がここ日本では評価される傾向があるっぽいですが騙されてはなりません。その「やってるっぽいひと」はやってる感に自己満足してるだけでより効率的な方法を考えることを怠っているのです。「やってるっぽさ」に騙されてはなりません。