魂の午前3時

不規則な生活を送っているせいでこんな時間になっても眠れません。こういう時間にひとりで起きて考え事をしているとろくなことにならないので、つらつらと書き物などをばせむ。

自意識

2ちゃんやらブログやらで人を罵倒したり貶めたりしているひとの自意識がどうなっているのか不思議です
そういうことをやった瞬間に人生がものすごく惨めになってしまう
非ネット上のコミュで愚痴を言ったり陰口を叩いたりするのよりもずっと惨め
どうしてそういうことができるんだろうか
もしかして自意識がないのか?
「自分が自分をどのようにして見るか」というものとしての自意識
自己に対して自己を構築して提示して説得していく循環運動
誰だって自分はなかなかいい感じの人間だと思いたい
下劣で低俗な人間ではないと思いたいはず
ネットで悪口を書くことをした瞬間にそれが難しくなる
不満があるなら相手に届くかたちで言わなければ申し立てという体を保てない
だったら言わないで見下していれば自分を説得しやすい
そういった種類のプライドって大事だと思うのですがどうなんでしょう
そんなものはないほうが幸せなのかもしれません
しかしそんなんだったら幸せになんてならなくてもいいという意地
永井の言うニーチェの『復讐としての倫理』みたいな
そして川上未映子『ヘヴン』のコジマのような
自分のほうが絶対に正しいのだという超越的な意地
そこまで行かなくても自意識があったらあんなことにはならないのでは、と思うけど実はそうでもないのかも
あるいは僕がどっか超越的な倫理を信じているからそう思うのかも

天皇

即位20年だそうでおめでとうございます。
NHKニュースを観ていたら、「天皇は日本国民の象徴としての役割を果たしていると思うか?」みたいな世論調査があって、「よく果たしていると思う」と「ある程度果たしていると思う」の合計が85%だったのですが(「思わない」が8%、無回答が7%)、この調査はいったいなんなんだろうかと首を傾げました。質問がふわっとしすぎていてこの結果がいったいどういうことを示していることになるのか全然わからない。もしかして調査自体には意味はなくてもこの結果を見て喜ぶひとがどこかにいるのか。たぶんいるのだろうな。*1
しかし皇居前でやった一番大きな奉祝行事にEXILEというのはちょっと面白い。
http://mainichi.jp/select/wadai/koushitsu/news/20091113k0000m040093000c.html
若者ウケを狙うにしても思い切ったなと思う。天皇と皇后がEXILEをまじめに観ているところというのはどことなく世紀末的な感じがしませんか?
僕は天皇やら天皇制やらに対して政治思想的には特に思うところはないのですが、こういう行事やらに参加しているときの天皇の心情やら、場のひとびとの心情やら雰囲気やらの、文学的な部分には大いに興味があります。
こういう文学的な興味を追求すると不敬になる、という話は渡部直己の『不敬文学論』講義で教わったことですので、波風を立てないために詳細は書きませんが、「天皇である」というのはとても大変なのだろうなあ、と思います。少なくともその点に於いては間違いなく尊敬している、という僕のような人間は結構多いのではないでしょうか。

*1:ところで社会学部というところにいると統計調査全般に対してなんとなく否定的というか懐疑的なになりますね。社会調査も専門のうちなのに。因果な学部だ。