再帰的近代と自傷

現代若者論という授業の一環でジュニアフェローの方による講義を受けました。タイトルは「自傷行為体験者の語りから探る現代日本社会の生き辛さ」。フェローの方は、リストカットを関心の中心において研究してきた方だそうです。

  • リストカットをはじめとする自傷行為を、特殊な人による特殊な行動ではなく、現代社会における生き辛さが表出した一つのかたちとしてとらえなおす。
  • 現代社会のどのような特質が、緊張を昂進させ、個人を自傷行為に追いやるのかについて考える。

講義内容は自傷行為の特徴、自傷行為のリスク要因、ケーススタディとして小学校〜中学校でいじめを受け、リストカットを繰り返すようになってしまった女性Dさんの例、そしてギデンズのハイ・モダニティ論に依拠しての、現代の生き辛さ、その中で各人が強いられている緊張と自称行為の関係について。
リスク要因で意外だったのは、「友人との不活発な交流」の自傷行為との相関係数がマイナスだったこと。つまり友達がいないひとはあまり自傷しない傾向があるということです。これは自傷行為の特徴を後述の「関係性の中の緊張の発散」とする根拠となります。
ギデンズのほうはおなじみの再帰性のお話。現代においては「私はどのような人間か」は行為の選択に対しての自己の終わりなき再帰的モニタリング、および他者からの再帰的な評価によって決まっていくために、日常は絶えざる緊張の中にあるよね、というあれです。
自傷行為の中心的な特徴を自己コントロール=緊張の発散としての自傷行為と他者コントロール=関係性の修繕のための自傷行為というふたつの側面から考えるというのは、実感的にもわかりやすい話でした。
講義の後でいくつか質問をさせていただきました。

Q.ケーススタディに挙げられているDさんがリストカットを行うようになったのは、いじめを受けていた時期からなのか?
A.違う。高校に入ってもういじめを受けないようになってから。

やっぱりか、と思いました。さらに哀しいことです。いじめを受けていたことが傷跡になっていて、うまく他者との関係性が築けなくなってしまっているために、自分を「リストカッター」として他者に提示するというコミュニケーションをするようになってしまったのだと思います。

Q.レジュメに抜粋されているDさんのブログの語りが、どこかで見たことがあるようなもの、どこかトラウマ系少女マンガのポエム的というか、ケータイ小説的というか、そういう印象を受けたのですが…
A.気づいている。そういうものの影響はあると思う。いわゆる「メンタル系」のブログはだいたいそんな感じ。

ここらへんは速水健朗ケータイ小説的』で言われているように、少女文化のなかで不幸自慢的な系譜、トラウマ語りの類型があって、そのイメージがここらへんの「メンタル系」に強く影響しているのだと考えられると思います。また、講義の中で、「少女マンガ『ライフ』(いじめを受けておりリストカット癖のある少女が主人公)が流行ってから、リストカットがかなり増えた」、と仰っていました。ここらへんまさしく再帰的です。
いじめを描いた小説ということで、たまたま持っていた川上未映子『ヘヴン』をオススメさせていただきました。百瀬の語りとかは興味深いと思ってもらえるのではないでしょうか。
ところで、講義を受けていて、自傷の自己コントロール的な側面として、「自傷をすると不快な気分が解消できることに気がつく」というのがあったんですが、なぜ自傷で不快な気分が解消できるのでしょうか、という問いはあり得ると思います。僕はここらへんはラカン、そしてジジェクによる議論を思い出しましたが、どうなっているのでしょうか。これも聞いておけばよかった。
自傷の他にハイモダン的緊張の結果の症状として現れるものとしての例として講義で挙げられていたのは、「アルコホリック」だとか「ワーカホリック」だとか、「タバコ依存」だとかあるいは「いじめ」だとか「虐待」だとかでしたが、こういうのってモロにジジェクですよね。あとやっぱりタバコって自傷的だなあと思いました。実りの多い講義でした。