「否定」しない思想

「ジェンダー入門」とネトウヨ君 - ohnosakiko’s blog
こういう授業はいいなあ。批判から入るのではなくて、学生それぞれが普段の生活や、さまざまな表象、言説に対してなんとなく感じているかもしれない違和感について、考えるきっかけを与える、というやり方。
僕は常々、一部の*1フェミニストたちの(あるいは、フェミニズムに限らず、一部のリベラリストたちの)ある種の不寛容さというのが、戦略的に考えたときに、そしてそもそも倫理的に、よいこととは言えないのではないか、と考えている。
もちろん、世に出回る表象やら、言説空間上に提出された言説やら、あるいはそのような言説を発するに言論人に対しては、批判していくことというのは必要だろう。
しかしそうではないひとたちに対して、考え方が保守的であることを理由に人格批判がされるのは、なにかとても違和感がある。
すでにそこにいるひとの人格は、まずは容れられるべきなのではないか。「そういう風になってしまったこと」、「そういう風にしかなれなかったこと」は、否定されるべきではないのではないか。カーヴァー的寛容さというか。フェミニズムリベラリズムに限らず、思想というのは本来そういうものなんじゃないのかなあ。

*1:あくまで、「一部の」。それが大多数、あるいは全体であるかのような悪質な言説というのはしばしばあるけども、そうではなくて。