ふたりの天パに見る90年代vsゼロ年代

銀魂』と『カウボーイビバップ』ってなんだか似てるなぁ、と。主人公がシュッとしてるとことか弛緩しきったギャグパートとハードボイルド調のシリアスパートを使い分けるとことか。銀さんもスパイクも天パだし。
けれども、少し考えてみると、この二作品の主人公には決定的に違うところがある気づく。過去への態度だ。
銀時とスパイク、このふたりの主人公は、共通して、過去に≪外傷的体験≫を抱えている。
銀時はしかし、よろず屋としての現在、腐れ縁でつながった仲間たちとのどうしようもない日常の中にこそ自らの生の意味を見出し、恩師の仇打ち、幕府への怨みといった、過去から追いすがる因縁を時に笑い飛ばし、時に斬り捨てていく。
対照的にスパイクは、その暗い過去の≪外傷≫=≪「昔の女」を巡る記憶≫が発する破滅的引力に抗えずに、「いま」の仲間、ビバップ号の仲間たちを離れ、因縁の中に命を捨てる。
似ているようで実は対照的なこのふたりの主人公の中に、若き批評家・宇野常寛が言うところの90年代の≪心理主義≫とゼロ年代の≪決断主義≫の好例を見ることができるのだ。


というか『ビバップ』って、「過去への思い」を清算できなかった登場人物は皆死んじゃうんだよね。いやはやシビアな話だね。

ゼロ年代の想像力

ゼロ年代の想像力