真理の配達人
こうやってブログを書いて公開していると、原理的には誰が読んでるか発信者である僕にはわからないし、読んだひとがどういう風に思うかとかもわからない。書かれたもの(エクリチュール)は書いた者の全然しらないところで全然知らないひとに変な風に理解されるかもしれないし、変に引用されてしまうこともある。
それに対して現実に顔を突き合わせてする話(パロール)だとコンテクスト、言葉を受け取る相手、その受け取り方をかなりの程度まで認識できるし、コントロールできる。
ここの文章は僕の不確かな知識に基づいてしかも大変大雑把に書かれているものなので、いろいろと間違ったこと、頭の悪いことを書いてしまっているかも知れない。バカの展覧会みたいになってる恐れがある。パロールならバカの訪問販売くらいで済む。
エクリチュールはパルマコンだ。薬であり同時に毒でもある。それはとても便利だけれど、害・危険も孕んでいる。
エクリチュールはその切断・引用可能性によって、発信者の手を離れて、全く別のコンテクストの上に配置され、また引用されて、発信者の認識の届かないところで、無限に転がり続け得る。そのときパフォーマティヴな意味は変質していってしまう(だからソクラテスは「書くな」と言った)。このとき、発信者の発語に対する責任みたいなものをどこまで問えるのかは、難しい。
技術もエクリチュールと同じようにパルマコンなのではないだろうか。技術者は技術を発展させることだけを考えていればいいのだろうか。技術者の倫理はどこまで問われるべきなのか?責任はどこまで?
デリダは面白い。規範を破壊して相対主義を招いたと非難されていた時期もあったらしいけど、倫理や責任、そして正義について、根本的なところからすごく真剣に考えたひとだと思う。彼の考えはいろいろなことに関わってくる。非常に難しいけれど頑張って読む。
次は『友愛のポリティックス』を読んでいく
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