動物化時代の倫理/このマンガがすごい
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ポスト・モダンの条件―知・社会・言語ゲーム (叢書言語の政治 (1))
- 作者: ジャン=フランソワ・リオタール,小林康夫
- 出版社/メーカー: 水声社
- 発売日: 1989/06/01
- メディア: 単行本
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- 作者: 立木康介
- 出版社/メーカー: 人文書院
- 発売日: 2007/07/01
- メディア: 単行本
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大きな物語が退場していく
その最たるものである倫理―禁止の倫理、超自我―が力を失う
主体に内面化された規範である超自我は死の欲動をエネルギーにして動いている
攻撃のエネルギー、他者を傷つけたい、苦しませたい、それを自分に向けて締め付ける
重要なのは、最初に死の欲動がある、攻撃への志向がある、ということ
それを≪父≫をモデルとした超自我に流し、自分を攻撃して満足させる
〜〜してはいけない、〜〜しなくてはいけない、超自我が禁止の言葉を発する、主体を締め付ける
これが普通の倫理。規範に従う倫理。とりあえず「大文字の倫理」と呼ぶことにする
それ自身が暴力、だからそもそも暴力を裁く権利はない
〜〜したら/〜〜しなかったら、いけない→しない。という回路
しては/しなくてはいけないからしない
人を殴ってはいけない、助けなくてはいけない。内面化された規範による禁止
大文字の倫理=禁止=締め付けが弱まると人を殴る、見捨てる
こういうことになる。既にそうなっているしこれからそうなっていく
それはちょっとよくない。ような気がしている。本当は別にいいのかも知れないが、でもよくない気がしている
なので考える。禁止でない倫理を。
殴ったら痛い、助けないと苦しむ→そうなると自分も痛い、苦しい→殴らない、助ける
こういう回路を考える。共感で動く。もはや規範ではない。各主体が勝手に共感して勝手に働く。
既に倫理ではないが、とりあえず「小文字の倫理」としておく
共感とは他者の痛み・苦しみを自分のものとして引き受けること
これはよく考えると不思議なことをやっている
他者が痛い、苦しい、辛い。自分の痛み・苦しみ・辛さではない。
所詮他者のものだ、自分とは関係ない。これが極北。圧倒的に正しい。ぐうの音も出ない。
しかし人間は共感する。そうすると自分も痛いから助ける。快感原則のエコノミーに従っている。生の欲動で動く。快感原則の彼岸=死の欲動は参入してこない
共感は想像力と遇有性によって支えられている。遇有性の議論は複雑になるのでここでは放置
想像力で他者と自分が重なる
これは言うまでもなく幻想、しかし幻想は主体にとって完全に現実と同じ権利をもつ
だから想像力の機能可能性を増大させる方向で考える
想像力=優しさ。優しさを増やす、という、なんか宗教みたいな話
宗教も利用できるだろう。文学でもなんでも。物語=ナラティヴの力を使う
「想像力を稼働させる」「共感可能性を拡大していく」
このふたつが小文字の倫理の肝
しかしそれだけでは充分でない
全く共感できない≪他者≫には何をやってもいいということになる
例えばイスラム原理主義者とか。自爆テロとかやってくるひとに共感するのはキツい
主体にとっての全き≪他者≫を射程に入れるような倫理を構想する
他者の他者性を引き受けた上で倫理は可能か、大文字でも小文字でもない倫理は
それはまた別の議論。すごく困難なことを言っている。そのうち考える
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雑感:
「このマンガがすごい!2009」が発表
オトコ編は以下の通り
1 聖☆おにいさん 中村光 講談社
2 宇宙兄弟 小山宙哉 講談社
3 GIANT KILLING 綱本将也(作)/ツジトモ(画) 講談社
4 3月のライオン 羽海野チカ 白泉社
5 深夜食堂 安倍夜郎 小学館
6 きのう何食べた? よしながふみ 講談社
7 アオイホノオ 島本和彦 小学館
8 よつばと! あずまきよひこ アスキー・メディアワークス
9 俺はまだ本気出してないだけ 青野春秋 小学館
10 ファンタジウム 杉本亜未 講談社
アオイホノオとよつばと!とファンタジウム以外は読んでる
聖☆おにいさん一位おめでとう
- 作者: 『このマンガがすごい!』編集部
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2008/12/05
- メディア: 単行本
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