さりながら


友人たちにパラグライダーに連れて行ってもらった。朝霧。ふわふわとして楽しかった。パラグライダー乗せてくれるとこ、やっぱりそれなりに危険もあるはずなのに、いろんなことが雑でてきとーな感じで、ちょっと不安になったけども、そういうの好き。
温泉に入り焼き肉を食べお酒を飲み帰宅。
ドライブって楽しい。誰かにドライブに連れてってもらう度に、自分でもちゃんと運転できるようになりたいな、と思うのだけれどなかなか、ね。



某社の説明会に行った。自由な服装で、と書いてあったので私服で参加したのだけれど、会場に着いてみたら自分以外ほぼ全員がリクルートスーツを着て来ていて驚いた。
リアルに「ざわ・・・ざわ・・・」ってなった。めちゃめちゃ浮いてたよ俺。
それがお前らの自由な服装なのか?もしかして普段からそのスーツなのか?
俺は自由を履き違えているのか?
自分が社会不適合者であることを実感しました。
僕なんかは社会の隅っこの暗がりで生きていくのがお似合いなのだと思いました。よ。



僕がよく利用している喫茶店のマスターが先週亡くなっていたことを友人伝いに知った。
もう相当な御歳だったし、先ごろ奥様が亡くなってしまって以来目に見えて元気がなくなってしまっておられたので、僕もなんというかこの先ずっと生き続けるだろうみたいに思っていたわけではなかったけれど、実際に亡くなってしまってもう会えないのだなあと思うと、悲しいというか淋しいというか。
お店のほうはとりあえず年内は営業を続けて、年明け以降はわからない、らしい。誰かがお店を継いでやっていくかも知れない、ということらしいが、やっぱりとても小さな喫茶店なので経済面とか考えると、現実的には難しいのではないだろうかと思う。
そのお店には量的にも質的にもドトールなんかとは比べ物にならない思い出/思い入れがあるので、お店がなくなってしまうということになったら、それもとても残念に思う。
さまざまなアンティークが並ぶ古色蒼然とした店内で、マスターがやはりそれまで生きてきた長い年月を感じさせるその手で、手品をやって見せてくれたときのことを思い出す。
それは手品としてはとてもささやかなものだったけれど、披露してくれているマスターがニコニコととても楽しそうで、見ているこちらもなんだか嬉しくなったものだった。店内の時間がキラキラしていた。その人柄を慕って集まるお客も多かったのではないかと思う。
お店には他にも多くの良い思い出があるけれど、あまり考えると涙が出るので止す。
「死ぬのはいつも他人ばかり」だ、本当に。