分析、あるいは手紙

モルグ街の殺人事件 (新潮文庫)

モルグ街の殺人事件 (新潮文庫)

エドガー・アラン・ポー『モルグ街の殺人』を読んだ。短編集で、所謂“デュパンもの”が「モルグ街の殺人」「マリー・ロジェエの殺人事件」「盗まれた手紙」の3つを収録、それと「早すぎる埋葬」「落とし穴と振り子」の計5つを収録
なかでも「モルグ街の殺人」は史上初の推理小説、とか言われてる
「史上初の〜〜」みたいなのはまだそのスタイルが洗練されてないが故に拙かったりことが多い気がするけれど、ポーによる一連の推理小説に於いてはそんなことはなくて、むしろ変にスペクタクル化されておらず、シンプルで淡々としているところが全体の不気味な雰囲気を増していると思う
探偵役のオーギュスト・デュパンの造形も独特で好み。後の多くの推理作家たちによる名探偵がデュパンを雛型にしているのだけれど、特にホームズとかそっくりなような。探偵役デュパンと物語の語り手=執筆者の「私」、という構造もホームズとワトソンを始めとして古典ミステリの非常に多くが採用しているしポーはやっぱり偉大
コナン・ドイルとかアガサ・クリスティとか、江戸川乱歩とかのファンや、推理小説愛好者は読んでみて損はないと思う、ってわざわざ言われずともだと思うけども。


なんでこの本を読んでたかというと主には「盗まれた手紙」が読みたかったから
ラカンがこの短編を取り上げた「盗まれた手紙についてのセミネール」はラカン自身が特権化している非常に重要なセミネールで、これを理解するためにはまずは「盗まれた手紙」本体を読んどかないと話にならないかなと
デリダも「真理の配達人」の中で、ラカンのこのセミネールを批判するときにこの短編での“手紙”の意味、役割についてなんやら言ってるので(……手紙は分割される……文字は分割され得る……云々)これを読むのにも必要
と言ったってこの短編を読んだからといっても、恐らくラカンの言ってることはほとんど全くわかんないだろうけど、まあこつこつ地道にやっていく



今後しばらくの間エンターテイメント系のジャンルは休止することに決めた。面倒だけれど、フィクションは所謂純文学とか外国文学とかのカノンに限って読んでいこうと思う、さよなら森見、森、伊坂、三浦、奥田、東野、その他エンタメ作家たち。また会う日まで。マンガもできる限り抑えていこう、と宣言しておくことで異常に弱い意志を補強する作戦。

光文社の古典新訳文庫シリーズは訳が微妙なのが多い気がするんだけどどうなんだろう