ベンジャミン・バトン

新宿ピカデリーで観てきました。ピカデリーで映画を観るのは2回目で前はポニョ。ポニョの時は遅刻したのだけれど今回も遅刻。もしかしてピカデリーでは開始時間とは予告編が始まる時間ではなくて本編が始まる時間なのかも知れない。ので次回からはきっちり行こうと決意。

一人の男の一生を描く話なので、映画としてもかなり長いのだけれどいちいち映像が美しくて見ていて飽きるということがなかった。いくつか非常に印象的なシーンがあったのだけど、そういうシーンもタメをつくらずにさっさと流されていってテンポが早い。視覚効果や美術など、細部がいちいち丁寧につくられていた。とくにメイクアップはブラッド・ピットケイト・ブランシェットが若くなったり老けていったりとどんどん変わっていって見もの。音楽も素晴らしかった。ひさしぶりに映画のサウンド・トラックを聴いています。
Sunrise On Lake Pontchartrain

映画の中の時間イメージが面白い。以下ちょっとしたメモ。

  • 日記を読んでいる「現在」
  • 日記の中の時間=「過去」
    • 「現在」では母娘がベンジャミンの日記を読んでいて、こちら側=スクリーンの外とほぼ同じくらいの時間の流れ方*1になっている。
    • 「過去」では、ベンジャミンが生まれてから死ぬまでの80年間くらいの時間が描かれる。様々な人物が登場し、そして退場していく。皆が時間が経つに従って、老いていくのに対し、ベンジャミンはひとりどんどん若返っていく。
      • その「過去」は日記の中にある。つまり繰り返し可能でありいつでも中断できるし巻き戻せる(=ページを戻る)「時間」であるということ。。
        • そしてもちろん映画もまた繰り返し可能、巻き戻し可能なものである限り、映画の中の時間はすべて引用符付きの「時間」でしかあり得ない。

とかなんとか。ここらへんからいろいろと考えられることは多いと思う。

映画を観ている最中になんとなく思い出したのが、カポーティの短編「ダイヤモンドのギター」に出てくる一文。

生きているというのはすなわち、思い出すことなのだ――魚が溌剌と泳ぎ回っている茶色の川や、女性の髪に映える陽光やらを。

思い出、日記、人生。「人生とは物語である」と言ったのはクリステヴァだったか。

恐らく観る人の年齢や性別によってだいぶ感想が変わる映画なのではないだろうかと思う。いわゆるアラフォーの女性が最もウケがいいのではなかろうかという気がするのだけどどうだろうか?何年か経ってからまた観てみたい。

*1:X分の映画だとすると、始めから終わりまでで話の中でもX分経っているということ。「24」みたいな