「おくりびと」とアブジェクション

おくりびと」がアカデミー賞外国語映画賞を受賞しましたね。いやはや目出度い。
僕は10月くらいにこの映画を観たのですが、その時、考えたことを思い出してメモ。非常に雑ですが。ネタバレありなので注意。

アブジェクション

アブジェクションab-jectionとはジュリア・クリステヴァの概念で、対象を排斥すること。そのときその対象はアブジェクトab-jectとされる。ただ排斥するだけでなくて、おぞましい、とか、そういう嫌悪が伴う。アブジェクトは具体的なモノだったり、行為だったり、時には思想だったり属性だったりする。例えば体液とか、近親相姦とかは世界中でアブジェクト。
おくりびと」では登場人物の死体嫌忌が描かれている。死体嫌忌、「死」の禁忌も広く一般的なアブジェクション。この登場人物たち、そして観客の死へのアブジェクションが映画が進むにつれて段々とほどけていく。
主人公は最初に腐乱した遺体を見て吐いてしまい、遺体をぞんざいに扱ってしまうが、納棺師として死者に敬意を払うということの重要さに気づいていき、遺体に対しても丁寧に心をこめて接するようになる。また、はじめ死に関わる納棺の仕事を忌み嫌っている主人公の妻や街のひとたちも、最後には死者を送り出す仕事の大切さに気づく。
アブジェクションの昇華、嫌忌→神聖への高低差が感動につながっている。

第九

この映画では「死」というテーマの他に、「つながり」というのがもうひとつ大きなテーマになっている。
主人公がオーケストラで演奏していた曲がベートーヴェン交響曲第九番なのにはもちろん意味がある。歌詞に以下のような部分がある

ひとりの友の友となるという
大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻を得た者は
彼の歓声に声を合わせよ

そうだ、地上にただ一人だけでも
心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい

主人公の東京での生活は、妻以外に友人と言える人物がひとりもいなかったように思える。オーケストラが解散し、誰に挨拶をするでもなく東京を去っていく。
しかし帰ってきた田舎での生活では、会社の面々や街のひとたちとの交流を通じて、「つながり」を獲得していく。妻との「つながり」も、試練を乗り越えて強化される。

まとめ

会社での食事シーンの意味合いとか他にもいろいろ考えていたのですが思い出せないし思い出してもどうせまとまらないし切り上げます。
まあ何が言いたいのかというと、色々考えさせられていい映画だったということです。おわり。