縮減・弱さ

今日ちょっとした知り合いと話していたら、その知り合いはいわゆるスピリチュアルなひとが講師のセミナーみたいなものに参加しているらしいということが判明。うーむ。その知り合いの話では、セミナーでは今後の社会がどうなっていくか、とかが語られているらしい。参加料は3000円。そしてどうやら5000円とかのお札とか買ってるようだ。うーむ。ひとはなぜそういうのにハマってしまうのだろうか。僕が思うにきっと世界が複雑すぎるのだろう。世界の複雑さに個人の思考のキャパシティは耐えられない。ニクラス・ルーマン風に言えば「複雑性の縮減システム」としてのスピリチュアル・セミナー。
僕は以前にはそういうスピリチュアルとか宗教とかにハマるひとを軽蔑していたのだけれども、今ではまあ仕方ないかな、というか、自由にやればいい(嫌味ではなく)、と思うようになった。つまり寛容になったということだ。ひとにはそれぞれの弱さや欠如があって(村上春樹風に言えば、「ひとは誰しも病を抱えている」のだ)、なかにはスピリチュアルだとか宗教だとかに頼らずにはいられないひともいるのだろう。*1まあいろいろ問題はあるだろうけど、いまのところ3000円とか5000円くらいなんだったらまあいいんじゃないでしょうか、と。金額が上がっていかないことを祈ります。

*1:もし文学に効用があるとしたら、それは「他者の弱さに寛容になること」ということなのではないだろうか。