機動戦艦ナデシコ

劇場版 機動戦艦ナデシコ -The prince of darkness- [DVD]
今までに2回ほど通して観たことがあったのだけれど急にまた観たくなって、昨日・一昨日で1〜26話と劇場版を観てしまいました。僕はきっちりと全話観たアニメは両手で数えられるくらいしかないので、数あるアニメの中で「ナデシコ」が取り立てて出来がいいものなのかどうかというのはちょっとわからないけれど、個人的にはいい作品だと思います。ツボを抑えたSF要素とか、展開の速さとかが好み。終始悪ノリ気味で進行したTV版から一転してシリアスでダークな仕上がりになった劇場版が特に好きです。
物語の序盤〜中盤に於いては、スーパーロボットアニメのパロディとして登場する劇中劇『ゲキガンガー』のような「正義のヒーロー」になりたいと戦っていた主人公は、その後自分の信じていた「正義」という「大きな物語」が崩壊したのちのアノミーの中で戦う意味を見出せずに苦悩します。しかし結局、ダラダラとベタなラブコメや軽いノリの群像劇をやっているうちに、世界はなんとかなってしまいます。父亡き世界、大きな物語無き世界で、「何のために戦うのか」=「何のために生きるのか」という問いに、この物語は「どうってことのない日常のために」という答えを与えているように思います。だからこそ「ナデシコ」では、戦闘パートよりも、それ以外のどうでもいいような日常パートに重点が置かれている。そしてその「日常」も、宮台真司の言ったような「終わりなき日常」ではなく、最初からきっちりとナデシコ解散という「終わりある」ものになっている。
宇野常寛は『ゼロ年代の想像力』で、「ナデシコ」を、「母性的な自己愛への承認回路への肯定」を描いた作品とし、「『エヴァTV版』の文脈を、メタレベルから追認した作品」としています。まあそれは一見その通りのような気がしますが、しかしその「母性的な自己愛への承認回路」=ハーレム的展開も、そもそも作品内で散々茶化される、一種のパロディでしかないような気がします。母性のディストピア問題を乗り越えているとは言えないでしょうが、しかし乗り越えのための一歩を踏み出しているとは言ってもいいのではないでしょうか。そのような「ナデシコ」の射程は、今日なお古びていないと思います。