「一生。」

臨死!!江古田ちゃん(4) (アフタヌーンKC)
瀧波ユカリ臨死!!江古田ちゃん』4巻に、主人公江古田ちゃんの「だれにも気休めを言わない友達」である友人Mのこんな話があった。

パーティ?あるいは合コン?会場にて。江古田ちゃんと友人Mがふたりで座っているところに冴えない感じの男が所在なげに近寄ってくる。
男「あ…あの〜…近くに座っていいっすか…。」
友人M「いっすよ。」
江古田ちゃん「お好きにどうぞ。」
男「いや〜…だれともうまく話せなくて…。」
江古田ちゃん「はあ…。」
友人M「別に話せる人がえらいわけじゃないんじゃないすか。」
男「でもボクいつも人になじめなくて悩んでばっかです…。」
男「いつか悩まなくなる日が来るのかな…。」
友人M「……。」
友人M「そーゆーのって一生悩むと思いますよ。」
友人M「一生。」
男「はあ…。」

たった4コマのマンガの中で展開されるこの恐ろしく地味なやり取りの中にはしかし重大な真実があると思う。まさしくMの言うとおり、彼は「そーゆーの」で一生悩むのでしょう。突きつけられる言葉は胸に重いけれども、こうまで断言されるといっそ晴れやかな気さえする。
これを読んで穂村弘の「世界音痴」を思い出した。「世界音痴」とは、他の人には「自然に」振舞えることを、自分でやるとどこかぎくしゃくとした「不自然」なものになってしまう者、「自然さを奪われた者」のことだ。「奪われた、って誰にだよ?」とか考えたくもなるが、感覚としては非常にしっくりくる表現で、妙に心に残っている。
「世界音痴は自然さを一生取り戻せない」というギロチンの一撃、あるいは、救済の光としての、Mの、「一生」。