中間発表
もう10月なのです。そろそろ危機感を抱き始める時期ですね。
突貫工事で中間発表用のレジュメをつくりました。しかしこのままだと結論で相当がんばらないとただのまとめみたいになってしまう恐れがある。オリジナリティをどっかに盛り込まなければね。
(仮)タイトル「新たな権力の形態 ―環境管理型権力について」
構成
■はじめに
○動機
・フーコーの権力論との出会い、衝撃
・「主体」と「権力」、そして「自由」についての興味
・「主体」の“前”に働きかける権力―環境管理型権力への興味○問いの設定
・環境管理型権力との折り合い方
・その有用性、また、危険性とは?
・環境管理型権力はコントロールされるべきか?
・コントロールされるべきであるならばどのようなコントロールがあり得るか/ふさ
わしいのか?■環境管理型権力とは何か?
○東浩紀による名指し―「情報自由論」
・レッシグ『CODE』:人間をコントロールする手段の4分類
?法?規範?市場?アーキテクチャ
・規律訓練から環境管理へ
フーコー『監獄の誕生』からドゥルーズ「管理社会について」(『記号と事
件』)、そして東浩紀へ
○規律訓練型権力と環境管理型権力の比較
○環境管理の実例
・商業 公共 ネット■環境管理型権力論の射程
○今日の時代と環境管理型権力
・「人間の終わり」 「動物化」 テクノロジー
○環境管理のもたらすもの
・セキュリティ 「幸福」 清潔 etc.
○環境管理の危険性?
■結論「自由について考える」
・被管理者によって望まれて管理社会化は進行する
・どのような管理であれば正当化されるか
・管理に抗うには?またその論理は?
・権力/管理と人間の自由
文献
・ 東浩紀『情報環境論集』
・ 東浩紀×大澤真幸『自由について考える』
・ 『思想地図 :アーキテクチャ』
・ ローレンス・レッシグ『CODE』
・ M・フーコー『監獄の誕生』、『安全・領土・人口』
・ G・ドゥルーズ『記号と事件』
・ F・フクヤマ『人間の終わり』
・ G・オーウェル『1984』
・ A・ハックスリー『すばらしい新世界』
課題
・オリジナリティ
・環境管理型権力の内わけ?→統治権力との関係性によって?
・なにを問題にしたいのか←そもそも問いがぼんやりとしている
・詳しく批評をやる?
「1984」、「すばらしい新世界」とか「ゴールデン・スランバー」とか?