自己への物語論的接近 第3章まとめ

自己への物語論的接近―家族療法から社会学へ
ゼミで浅野智彦『自己への物語論的接近 ―家族療法から社会学へ』という本を読んでいます。物語論について、また、物語論的自己論についてもよくまとまっていてわかり易いし面白い。
3章まとめたのでレジュメうp

◎第三章 家族療法とその物語論的展開


◇前提

 ・家族療法の自己論は社会学の自己論と、「自己をコミュニケーションとの関わりで考える」点で一致している。
 ・社会学が認識、説明を目的としているのに対して、家族療法はクライエントの現実をより生きやすいかたちに「変えていく」ことを目指す、臨床の知である。


◇第1節 家族療法の物語論的展開―システム論から物語論

 家族療法は初期は精神分析的色彩が濃いものだったが、1960年代を通じてシステム論的アプローチが主流となった。しかしその後、80年代になると、セラピストたちの中に、システム論的アプローチに不調を感じる者が多く現れた。それらのシステム論への不満や疑問の中から、物語論的アプローチの潮流が出現し、家族療法のアプローチ方法の中で重要な位置を占めるようになっていった。

 ○システム論的アプローチ
 ・「家族」を「コミュニケーションのシステム」として捉える。
 ・「問題」は、コミュニケーションシステムのパターンから生じる。
 ・セラピストは、クライエント本人ではなく、「家族システム」に介入し、コミュニ
  ケーションのパターンを変えることで、問題の解消を目指す。
 
 ○システム論的アプローチへの批判
 ・関係を「システム」として捉えることで、階層構造や権力関係、不平等や差別を追認  
  し、固定化してしまう恐れがある。
 ・観察者(セラピスト)に対して、クライエント、問題、「システム」が、独立して存
  在していると素朴に信じてしまっている。
 ・システム論にまったく欠けている「意味」への視点、注意がセラピーには必要である。

◇第2節 物語療法の理論と技法

 人間は自己や身の回りの状況といった現実を、意味を付与された連続する出来事=「物語」として把握している。この「物語」という語を軸にして、クライエントの問題を解決しようとするアプローチを物語療法と呼ぶことにする。
 物語療法のアプローチは大きくふたつの流れに分けられる。①会話としてのセラピーと、②脱構築としてのセラピー。これらふたつは、臨床の場では融合し、相補うようにして働いている。

 ①会話としてのセラピー
 ・「問題」や「システム」は「ある」のではなく、会話として、会話の中で、作り出さ
  れる。そして、セラピーもまた会話である。
 ・ひとは自己に関する物語=「自己物語」をつくりだす。物語は本質的に誰か(他者、
  あるいは自己)に向けられている。この「他者への伝達」と、語られることと語られ
  ないことの差をつくりだす「選択的構造化」が、物語の特徴であり、会話アプローチ
  にとって重要である。
 ・「問題」はクライエントの自己物語にある。セラピストは、セラピーの会話の中で、
  クライエントの自己物語の語られ方を変え、よりクライエントにとってより生きやす
  い物語にしていくことを目指す。
 
 ②脱構築としてのセラピー
 ・「問題」は、「自己物語」と、実際に「生きられた経験」とのズレから生じてくる。
  「生きられた経験」は物語の中に汲み尽くせず、選択的に構造化される。その構造化  
  の選択には、他者や社会の受け入れられやすい形=「ドミナント・ストーリー」があ
  る。このドミナント・ストーリーと、語り手本人にとって重要なこと、語りたいこと
  の間でのズレが大きくなってしまうと、問題が起こる。
 ・したがって、脱構築アプローチの目指すのは、クライエントをドミナント・ストー
  リーから開放し、「生きられた経験」にフィットした物語への書き換えおよび語り直
  しをサポートすることである。
 ・脱構築的アプローチは、ドミナント・ストーリーから外れているが故に汲み尽くされ
  なかった経験=「ユニークな結果」を導き出すために、「語る私」と「語られる私」
  の二重性や、問題の外在化といった手法を使う。

第3節 物語療法から社会学

 ①会話的アプローチの「脱物語論」化
 ・コミュニケーションを通じて自己とそれを取り巻く現実が構成されている=社会構成 
  主義的自己論の立場。
 ・関係の流動性や開放性の強調⇔物語は一定の閉鎖性と固定性を必要とする。
  ⇒物語という語の使用はむしろ、関係の流動性や開放性を見えにくくしてしまう。

 ②脱構築的アプローチ―自己物語を「語りえないもの」に開くこと
 ・ドミナント・ストーリー vs「ユニークな結果」
  ⇒自己物語一般     vs「語りえないもの」、「穴」
 ・物語に汲まれなかった部分は「語りえないもの」として隠蔽され、抑圧される。
 ・隠蔽のふたつの水準:
  a.語られなかった部分を取るに足らないものとして周辺化する具体的な水準
  b.その語りかた以外にはあり得ない、と思い込めるように、その物語が唯一のもので
   はないような可能性を視界から遮断する抽象的な水準
 ・脱構築的アプローチは、まずaを、そして最終的にはbの思い込みを解除し、その物
  語の確からしさを揺さぶり、宙吊りにする。
 ・「語るもの」と「語られるもの」が結局は分離できないために、語り手は自己物語に 
  対してメタではあり得ない。それ故、自己物語の確からしさは常に宙吊り状態であり、
  語りえないものが付きまとっている。

第4節 物語療法の限界

 物語療法の自己物語を語るという作業は、高度消費社会の典型的な商品である「自己」を主題化する」という消費に結び付けられている。家族療法は語らせ、語り変えさせることによって問題を解決することが目的なので、自己語りの欲望に共振するかたちでもいいかもしれない。しかし、物語論社会学的自己論として展開するならば、その欲望に無自覚ではいけない。
 物語への欲望は、「語りえないもの」を見ずに済ませたいという欲望でもある。そのため、「語りえないもの」への問いを開いていくことが、単に欲望を繰り返すのではない、自己物語論への可能性を開く。