幸福・刺激・新世界

目黒の「蒙古タンメン中本」にて辛いタンメンを食べました。おいしい。しかし辛い。僕が食べたタンメンは10段階で5の辛さだったのですが、9の辛さのタンメンを食べていたバイト先の先輩T氏は滝のように汗を流しながら食べていました。僕もちょっとだけ貰ったのですが、食べた瞬間に汗のスイッチが入って頭皮がぼわっとした感じになりました。「時効警察」で「嘘をつくと(緊張で)頭に汗をかくから髪型が変わる」というネタがありましたが、T氏は食べる前よりも明らかに髪がぺっちゃりしていました。恐るべし蒙古タンメン

すばらしい新世界 (講談社文庫)
A・ハクスリー『すばらしい新世界』を読みました。ディストピア小説。面白いですが、『1984』のほうがやはり「進んでいる」という印象。『1984』は確か1948年、『すばらしい新世界』は1932年に書かれているので、まあ当然と言えば当然か。
この小説では、管理の行き届いた安全な、そして幸福な世界=消費社会の窮極/人間が「動物化」した世界、をシニカル描いているのですが、それに対置されているのが「神」やら「人間の尊厳」やらで、しかしそういった大きな物語が既に失効してしまっている今日を生きている読者である僕は、ここらへん読んでいてアンビバレントな気持ちになります。
物語のクライマックスであるMr.Savage/野蛮人と総統ムスタファ・モンドとの会話の部分は非常に印象的です。

「ところが、わたしは愉快なのがきらいなんです。わたしは神を欲します、詩を、真の危険を、自由を、善良さを欲します。わたしは罪を欲するのです」
「それじゃ全く、君は不幸になる権利を要求しているわけだ」とムスタファ・モンドは言った。
「それならそうで結構ですよ」と野蛮人(サヴェジ)は昂然として言った。「わたしは不幸になる権利を求めているんです」
「それじゃ、いうまでもなく、年をとって醜くよぼよぼになる権利、梅毒や癌になる権利、食べ物が足りなくなる権利、しらみだらけになる権利、明日は何が起るかも知れぬ絶えざる不安に生きる権利、チブスにかかる権利、あらゆる種類の言いようもない苦悩に責めさいなまれる権利もだな」


永い沈黙がつづいた。


「私はそれらのすべてを要求します」と野蛮人はついに答えた。

なんとなく『カラマーゾフ』の大審問官のシーンを思い起こさせますね。
いろいろ考えさせられる小説です。人間は別に幸福じゃなくてもいいんじゃないかという気がしてきます。F・フクヤマは『人間の終わり』で『すばらしい新世界』を引き合いに出しているらしいですが、その部分だけでもちょっと読んでみようというやる気が出てきました。
ところで、『すばらしい新世界』は子供はすべて工場のような場所で人工授精で生まれる性と生殖が周到に切り離された世界なのに、社会が男性優位に設計されているのが気になりました。ここらへんも含めて『1984』のほうが「進んでいる」印象を受けるのかも。