私たちはいつも締め切りに追われているブルー

[論文]松尾豊「なぜ私たちはいつも締め切りに追われるのか」

[SUMMARY]
研究者はいつも締め切りに追われている。余裕をもって早くやらないといけないのは分かっている。毎回反省するのに、今回もまた締め切りぎりぎりになる。
なぜできないのだろうか?我々はあほなのだろうか?
本論文では、研究者の創造的なタスクにとって、締め切りが重要な要素となっていることを、リソース配分のモデルを使って説明する。まず、効率的なタスク遂行と精神的なゆとりのために必要なネルー値を提案した後、リソース配分のモデルの説明を行なう。評価実験について説明し、今後の課題を述べる。

研究者は、やらなくてはと思っているタスクの締め切りが迫ってきて、あーもう間に合わないかもしれないと思いながら、頑張ってなんとか間に合うという経験をすることも多いだろう。これは、このモデルによれば、時間がなくなる→集中力を上げる→仕事の効率が意外に上がるというプロセスによって成り立っているわけである。
そして、それは、研究(執筆やアイディア出し)というタスクの性質に依存している。もし集中力を上げても仕事の効率があまり上がらないようなタスクであれば、間に合わないものはどうあがいても間に合わないわけであるから、我々は「計画をたてて余裕をもってやる」というのを学習するしかないはずである。研究者がこれを学習できないのは、それで何とかなるから学習する必要がないのである。

そう考えると、創造的な仕事において、締め切りに間に合うかどうかの成否を握るのは、[仕事の量]を正しく見積もれるか、[必要とされる集中力/効率]が上限に達しないゆとりを持って限界追い込まれ時間に至るかである。この見積もりを正しく行なうことが、締め切り直前に仕上げられるかの鍵を握る。
現実には、次のような行動もあるかもしれない。

  • [締切までの時間]を増加させる(締め切りを破る/締め切りが延びる/仕事時間を延ばす)
  • [リソース]を増加させる(無理をする)
  • [集中力の限界]を増加させる(追い込まれてスーパーサイヤ人となる

(強調はいずれも引用者)

卒論執筆にあたって非常に興味深い、また有用な知見が得られた。
気になったのは、サマリーに「われわれ(研究者)はあほなのだろうか?」という問いが掲げられているが、論文のなかでこの問いに対しては少なくとも明確には答えが提出されていないということである。ぜひ、次の論文では、この問題に取り組んでもらいたい*1

*1:ただ、私個人としては「研究者はみんなあほなのかもしれない」という印象を受けた。明確には示されていないが、これが松尾氏の見解であると見ていいのかもしれない。