小林秀雄『モオツァルト・無常という事』

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

小林秀雄が戦中に書いた批評文「モオツァルト」と、連作「無常ということ」などを収録。やはりこのひとのエクリチュールは戦後最高の散文と称えられるだけあってさすがに巧緻で、かつ流麗さを感じさせる。
僕は小林の著作をあまり読んでいないし、美学批評の歴史にも明るくないので非常に乱暴な感想になってしまうが、小林秀雄の美学批評には、やたらに「背後の精神」を問題にするという特徴があると思う。作品それ自体の現前を越えて、作家の精神性などの観念的なところを批評の射程に入れるというのは考えてみるとそれほど自明なことではなく、ある種の跳躍がある。小林はその跳躍を為したからこそ言語に拠らない芸術、音楽や美術の批評が可能であったし、そしてそのスタイルは小林以降の美学批評にそのまま継承され、現在でも大きな流れを為しているのではないだろうか。
無論その跳躍に小林が自覚的であったことは疑いない。
「モオツァルト」にある次の一文が示唆的だろう。

…優れた芸術作品は、必ず言うに言われぬ或るものを表現していて、これに対しては学問上の言語も、実生活上の言葉も為す処を知らず、僕等はやむなく口を噤むのであるが、一方、この沈黙は空虚ではなく感動に充ちているから、何かを語ろうとする衝動を抑え難く、而も、口を開けば嘘になるという意識を眠らせてはならぬ。

批評の言語は作品それ自体の美しさに決して届かない。批評はいつも不足であり、それ故に過剰である。だからこそ批評はいつも賭けであり、そこには賭け金が必要なのだろう。