ジェネレーション

ちょっと衝撃を受けたのでトラックバックというものを初めてやってみる

このエントリにある表をここに引用したいのだけどやり方がわからないので素直にリンクから飛んで読んでいただきたい。
もちろん表の数字がどういうものでどれほど信憑できるのかはこのエントリからだけじゃわからないのだけれど、「世代別社会保障の損得計算(給付-支払い、税を介した所得移転を含まず)の結果は……40年代生まれと2000年代生まれで8000万円の違い」というそれはそら恐ろしい数字が紹介されています。これではあまりにも公平性を欠いているし、社会保障としての体を保ち続けられないだろうと思う。
こういう数字を見ていると赤木智弘が「希望は戦争」なんてことを言ったのもまあわからないでもないよね、という気分になってくる。
思想地図2号の上野千鶴子インタビューではまさにこういった世代間格差の話をしていた。「若年世代は上の世代のツケを払わされることを非常に不満に感じている」という問題提起に対して上野は「世代間対立をやっている場合ではない」と切り捨てていて、個人的にそれは大いに納得できた。けれど、もし件のエントリで紹介されているような現実があるのなら、それを捨て置いて対立をやめることはちょっと難しいのではないか、対立をやめろというのは無理があるのではないか……そんな感じがしてくる。
割を食う世代が「最初から借金を背負わされている」という状況で、借金の重さは数字の上ではその世代構成員の間で等しいけれど、実存として最も厳しいことになるのはもちろん低所得者層になる。格差問題が「貧困問題」にシフトしてまだそんなに年月は経っていないが、今後一層貧困問題は深刻化、苛烈化していくのではないか。

もし人間が合理的に行動するなら、そら負担はまだ選挙権を持っていない将来世代に残す方が(現役の国民にとっても政治家にとっても)理にかなっているなあと思う。結局、維持可能な(公平な)社会保障制度が支持されるかどうかは、合理性からは説明できない「公平の価値観へのコミット」が必要になってくるのかもしれない。

これはまったくその通りだと思う。個々人の合理性だけで社会を回し続けていくことができると信じているひとたちはあまりにも素朴すぎるように感じる。社会保障システムの問題にしろ環境問題にしろ、自らの権利を主張する場を与えられていない者たちについて、さらには未だ現前していない未来の世代についても、射程に入れて考えられなければならないのではないか。
デリダ風に言うならば)「幽霊」たちへの「正義」を果たさなければならない、その責任が我々にはある、そう僕は考える。

NHKブックス別巻 思想地図 vol.2 特集・ジェネレーション

NHKブックス別巻 思想地図 vol.2 特集・ジェネレーション