『HB vol.05』

『HB』は僕もつい先日<http://d.hatena.ne.jp/hbd/>で知った雑誌。取扱店が少ないので、知っているひとは結構レアなのではないでしょうか。vol.5は「特集:私とビジネス」ということで、曽我部恵一インタビューをはじめ、さまざまなひとが「私」と「ビジネス」の「関係」について語っている。
僕の目当ては『en-taxi』の前編集長である壱岐真也と、『早稲田文学』主幹の市川真人の対談「文芸誌とビジネス」だったのだが、その他にもコラムなどが結構面白かったりと楽しめた。
「文芸誌とビジネス」では、文芸誌という全く儲からないものをビジネスとしていかに成立させるのか、あるいは成立していないまま続けていくのか、ということが、壱岐氏と市川さんそれぞれの立場から語られている。『en-taxi』はリリー・フランキーの「東京タワー」を生み出したこと、『早稲田文学』は川上未映子を世に出したことがそれぞれの大きな功績と言えるだろうが、そのへんの話とかもされている。
また、「文芸誌」というものが創出する「お金じゃない価値」というものについて少しだけ触れられている。それはつまり、「文学作品」の「文学史上における価値」とかね。市川さんは講義でもたまに、『早稲田文学』が発行できているのは、「大学を騙してお金を引っ張ってきてる」からだと仰っていたのだけれど、その辺の話も。

市川:……雑誌を作ることに対するフィードバックって、金銭的に換算できない部分ってたくさんあるでしょう。……百年後に振り返ったときに、この時期の『早稲田文学』から、たとえば「川上未映子が出ました」と明確に言われるだろう。「ほら、利益あるじゃん!」という、そういう感じですね。

市川:だから、文学とビジネスに折衷可能性があるとすればそこで、経済的な利益は期ごとにゼロにされちゃうけど、十年前に立ち戻って、「ほら、あのとき捲いた種が今!」って言えるのは、それがお金じゃないからだということは言えますよね。

ここらへんは市川さんのスタンスが見えていてよかったと思う。
あと気になったのは↓

市川:……その作品が文学史的に意味を持つのか持たないのかだって、いくらでも先送りできますから。ただまあ、その構造がちょっとシンドくなってきているんだろうなって気はしますけどね。

なんとなく思うのは、「作品の文学史的意味」だけでなくて、『「文学」そのものの意味』が、大昔から先送りにされてきて、今ちょっとシンドくなってきているんじゃないかな、ということです。どうでしょうか。