【人間/身体/環境】

今日は社会倫理学の授業で遺伝子治療に関しての倫理問題についてのお話があり、大変興味深いものでした。
「遺伝子いじるのはやめとけ」という立場のひとびとの主張のうちのひとつに、以下のようなものがあります(というか僕がなんとなく思いついただけですが、たぶんそういう主張はあるでしょう)。曰く、
「【人間⇔環境】の弁証法を行ってきた、つまり環境を克服してきたのが人間であるのに、そこで人間のほうをいじるようになるのはやばい。」
というようなものです。「環境でなくて人間のほうをいじりだすと、そのうち脳に電極ぶっ刺して快感物質をどくどく出すようになるんじゃないか」。歯止めなしで人間のほうをいじっていった場合、いつかそういうことになるような気がします。それ(脳に電極ぶっ刺すこと)が果たして悪いことだと言い切ってしまえるのかは横に置いておくとして、ちょっと怖いという感じはなんとなくします。
しかしこの【人間/環境】という単純な二項対立図式を見つめながらさらに考えたときに僕が思いついたのは、「[身体]が【人間】ではなく【環境】のほうに編入されているのが現代なのではないだろうか」、ということです。身体はもはや【人間】を縛る桎梏でしかなく、であるならばそれは主体ではなく条件=【環境】である。現代に於いては【人間】はすなわちコギトに純化されて考えられていると言ってもいいかも。というここまでの僕の議論はしかし、既に常識のようなものなのかもしれませんが。
夜にはACC新宿の東浩紀による講義「現代思想のゆくえ」に行きました。第一回ということでガイダンス的な話と、思想・批評のゆくえの話と、あとルソーの一般意思の話、そしてちょっとだけ「存在論的、郵便的」とデリダ脱構築の話とかもありました。あずまんの思想家、批評家としての基本的なスタンスの話とかもあって非常に面白かったです。