一般意思についてのメモ

社会契約論 (岩波文庫)
社会契約論/ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫)
一般意思とは何か

個人のそれぞれの意思=個別意思
一般意思は個別意思の集合ではない
個別意思の集合は全体意思
全体意思は個別意思と必ずしも一致しない
多数派が少数派を押さえ込む
それは真の民主主義ではない
一般意思は個別意思と齟齬をきたさない
だから不満とかも生まれない
全体も個人も一致する
一般意思はむしろ個別意思の差異の集合
十分な情報を与えられたものたちの個別意思の差異の十分な吟味があれば一般意思は「天から降りてくる」ように決まる
討議とか意見とかはいらない、というかむしろ邪魔
話し合いとかやると個別意思が狂う
団結とかもするべきではない
中間団体をつくると、そこの内部での一般意思=全体にとっての特殊意思が形成されてしまう
特殊意思は全体での一般意思の形成を阻害する
故に間接民主制は真の民主制足りえない
十分な情報の提供と意見や憶測によって市民が惑わされずに個別意思を形成し→中間団体の排除された直接民主制でなければ真の民主政治=一般意思に基づいた政治とは言えない

というようなことをルソーは『社会契約論』で言っている
しかし一般意思というのは『社会契約論』を読んでもぜんぜんわからない概念
解説本とか読んでも解釈がいろいろあって混乱する
全体主義と批判されたり、宗教的な話なのだというところに落ち着けたりとか
ここでの議論はやはり非常に抽象的だし、現実に落とし込もうしたときにどのような形態になるべきなのかがまったくわからない
しかしルソーは、ポーランドの政治をどのように設計すればいいのかを請われて論じた『ポーランド統治論』では、より具体的な話をしている
『社会契約論』では中間団体をあれほど排除していたのにも関わらず、『ポーランド統治論』では、ルソーは地方ごとに代議士を選出し中央議会に送り込むという連邦制を提唱している
これはどういうことか
言うまでもなく『社会契約論』で論じられていたような直接民主制は、現実には不可能なため
たとえばギリシャのポリスでは直接民主制が実現していたが、それは政治に関わるひと全員がアゴラに集まれるほどに少なかったから(ポリス国家の人口なんか知れているし、しかも参政権を得ていたのは人口のごく一部だった)
それにギリシャのころよりも世界は格段に複雑になっていて判断が難しい
ルソーも当時の国家で直接民主制をやるのは無理だと言うことはわかっていた
だから現実と妥協して間接民主制による国家を設計した
今日ではさらに人口は増えて、世界はますます複雑化している
ルソーの言う「真の民主主義」は遠ざかっているだろう
しかしネットには「一般意思」の形成の可能性があるかもしれない
というのはまたどこかで書くかも