リアリティの変質

遺伝子とかそこらへんまわりの技術が発展して「自分がだいたいどんくらいの確率で病気になるのか」がわかるようになったら保険業界はダメージを受けるのかそれとも別にどうってことないのかについて友人とちょっとした議論をしました。僕は保険やばい派で友人はべつに変わんなくね派。
保険と言うのはひとがリスクを避けるために余分に払う部分、いわゆるリスクプレミアムから利益を得ているわけですが、現在では例外はあるものの、年齢とかの条件をそろえればだいたい一律の料金で生命保険とか入院保険とかに入れますよねたぶん。これはあるひとが病気になりやすいひとなのかあるいはなりにくいひとなのかというのはわからないので、ぜんぶひとくくりにしちゃって全体で計算しようぜというやり方になってるからです。ちょっと使い方違うけれども、ロールズいうところの「無知のヴェール」がかかった状態です。
しかし、あるひとの病気になりやすさがわかるようになったらどうなるでしょうか、ということを考えると、各人はそのひとごとの病気になりやすさに見合った条件の保険に入るようになります。病気になりにくいひとは相対的に良い条件の保険に入ることができますが、病気になりやすいひとは条件の悪い保険にしか入れません。*1
このようにして集団が分化されたとしても、ひとがリスクを避けたいと思う気持ちは現在と変わらないわけなので、保険業界は別にダメージを受けないのではないか、というのが友人の主張です。確かに計算上は損になったわけでも得になったわけでもないので、結局は病気になりやすさがわからないときと同じように行動する、というのは正しそう。
しかしそれでも僕は、「病気になりやすさがわかるようになったら、保険に入るひとは減るのではないか」という気がします。なぜそう思うのか。答えは『「自分が病気になる」=「保険金がペイされる」ということの、リアリティが変質するから』です。
これはどういうことかと言うと……という説明は明日早起きしなければならずもう寝なければなので省略します。つまりうまく説明できそうに無いので逃げを打つということです。あでゅー。

*1:これは「病気になりやすさ」の情報が保険会社にも共有されているというのを前提に考えていますが、これはもし「病気になりやすさは保険加入希望者本人にはわかるが、保険会社にはわからない」という仮定でやると、逆選択が起こり保険会社が大損することが明らかだからです。そんなことにはならないはず。