「自由である」を考える+宮台先生を応援

波状言論S改―社会学・メタゲーム・自由
自由論 (光文社古典新訳文庫)
自由からの逃走 新版
卒論の2度目の中間発表に向けての作業中。前回から問題意識をかなり変えている(というか前回は問題意識がはっきりしていなかった)ので、ほとんど完全に書き直し。『波状言論S改』の東×大澤対談「ふたたび、自由を考える」で提起されている、「環境管理型権力と自由」についての問題(のうちのひとつ)を考えてみよう、と。
環境管理型権力が働くときに、ある種の「自由(もしそれを自由と呼べるのならば)」が制限、あるいは「加工」されている。そのとき、その「自由」とは、どんなものか。なんと呼べばいいのか。この名指しが僕の卒論の目論見。そしてまだその最重要な部分、「どう名指すか」を考えられていないという危機的状態です。自由論の蓄積がないというのがすごくネックになっている。J・S・ミルとかエーリッヒ・フロムだけでも大急ぎで読まなくてはならない。
ところで宮台ブログを読んでいたら、久しぶりにすごく面白いエントリが↓
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=804
ある時期からのミヤディーは「保守を立て直す」方向で頑張っているように理解しているのだけど、このエントリで紹介されている本はまさしくそれらの仕事の現時点での総まとめになるんじゃないでしょうか。少なくとも保守を自覚しているひとは必読。ネオリベが嫌いなひとも得るものが多くありそうなので読んだらいいのではないでしょうか。