「民主主義2.0」という名前ってどーよ

あずまんが最近ぶつぶつつぶやいている「民主主義2.0」というのは彼が来年に出す本のタイトルらしい。どうも情報技術によって一般意志を実装できるのではないか、という途方もない試みだとか。注目。
で、内容はさておき、「民主主義2.0」というのは名前としてどうなのよ?
まず感じるのはちょっとダサいということだ。ダサめ。そしてなんだか若干ふざけているような感じがする。「2.0(笑)」みたいな。
しかしそのような、新たな概念の名指しとして致命的ではないかと思える欠点を抱えてはいるものの、僕は結構好きだ「民主主義2.0」。
まず、政治の言葉である「民主主義」と情報技術で馴染みのある「2.0」を結びつけてみせたのは、今日この時代が、(良くも悪くも)「政治と工学が短絡してしまう」時代であるという「情報自由論」での議論を背景にしている。
また、「2.0」があるということは、「2.1」や「2.1.1」が、そして「3.0」があり得るということだ。「2.0」がだめだったら、単にヴァージョンアップすればよいのだ。「2.0」はファイナル・ヴァージョンではない。デリダは「来たるべき民主主義」と言った。デリダにとって、真の民主主義は常に「来たるべき」ものであった。民主主義は常に未完成である。不可能でありながら同時に可能的なものとしての民主主義。「2.0」には決して到来しないが故に常に来たるべきものである真の民主主義への希望が込められている。