What's the harm?

ジェンダー系の授業で、ゲスト・スピーカーとして来てくださったゲイのアメリカ人Douglasさんのお話を聴く。
Mr.Douglasは米のIT系企業の六本木にある日本支社で働いている。生まれはBostonで、4年ほど日本で働いており、日本人の男性ともう19年間も良好なパートナーであり続けているのだそうだ(授業にはパートナーの方もいらっしゃっていた)。見た目や物腰にはまったく「ゲイっぽい」ところはなく、いかにも「できるアメリカ人ビジネスマン」然としておられ、また、ユーモラスで爽やかな感じのよい方だった。
今では自分がゲイであるということを、とても自然なこととして受け入れられているし、それで悩んだりはされないそうだが、しかし若い頃は大いに悩み、また苦しみ、「恥ずかしい」とか「家族に申し訳ない」と悩み、神様に毎晩「連れていってくれる」ことを祈っていた時期もあったそうだ。友人や家族にCome Outしたときの不安など、ゲイであるが故に苦しまなければならなかったことについて、聞かせていただいた。にこやかに、またユーモアを交えながらの語りではあったのだが、やはり当事者がその体験を生で語るというのは、本やTV、映画で同じような体験を見知ってはいても、どこかずしりとした重さがある。何度か涙が出そうになった。
また、アメリカでの体験の他に、現在の日本での暮らしについて彼が感じていることについても語ってくれた。やはり、ゲイとして生きるにはアメリカのほうがずっと楽なのだそうだ。「日本人はまるでゲイが存在していないかのように思っているひとたちが多い」と仰っていた。日本人はゲイと接することに慣れておらず、ゲイだということを明かすと戸惑わせてしまったり、困らせてしまったりするので、明かすことができないことがしばしばだとか。Douglasさんの務める会社でも、Bostonの本社では、彼がゲイであることを会社の全員が知っており、それで問題が起きることなど全くないが、日本の支社では、混乱するひとがいて業務に支障が出るかもという恐れがあって同僚全員に明かすということはできていないそうだ。
Douglasさんの話はどれもとても印象的だったのだが、特に強く印象に残っており、また彼自身も強調していたのは、以下の3つ。

  • さまざまなsexual orientationを持つひとがいるというのは、世の中には右利きのひともいれば左利きのひともいるというのと同じで、まったく自然なこと。左利きであることの何がいけないというのか?世の中に左利きのひとがいるということの、何がいけないというのか?
  • 自分がゲイであることを話すと、多くのひとが「ゲイと会ったのは初めてだ」と言う。しかし絶対にそんなことはないと思う。あなたの友人、知人の中に、必ずゲイはいるはずで、あなたにゲイであることを明かしていないだけだ。
  • 必ずしもゲイをhateしていないひとでも、ゲイを冗談やからかいのネタにしたりすることはよくあることだ。しかし、そういった「小さな差別」が、積もり積もってgay bashingを許容する空気につながったりと、minorityにとって生きづらい世の中を作り上げてしまうのだということをよく考えて欲しい。

特に3つめに関しては、身につまされる言葉であった。おそらく誰の中にもあるだろう「これくらいなら許されるはず」という卑小な悪が、積み重なって巨大な悪を生んでしまう。恐ろしいことだと思うし、気をつけなければと思う。
Douglasさんは最後に仰っていた。「友人や知人がゲイであることを明かしてきたら、混乱したり、恐怖したりせず、どうかsupportiveになってあげて欲しい。ゲイであるということを明かすというのは、そのひとがあなたのことをとても信頼しているということなのだから。」
ぜひそうありたいものだと思う。