決断としての愛
僕が昨日の飲み会でちらっと言ったことを思想地図の宮台真司×東浩紀対談で印象深かった部分を引用して補足しておく
宮台:……合理的に考えれば、目の前にいる相手よりももっと良い相手がいるに決まっていて、必然性を信じるということにムリがあります。ところが、このことに固執すると「ホームベース」は絶対につくれません。「ホームベース」をつくるということは、偶発性に抗って、簡単に言えば、「決断」することと同義です。……(中略)
東:人生の必然性は自らつくっていくものであって、そのためにはどこかで必然性に囚われない決断を下すしかない。
ひとを愛するのには決断が必要である、ということ。決断とは計算を、必然性を、合理性を「超えて」下されるものだ。このことを指してデリダは「決断とは狂気の瞬間である」と言ったわけで、だから愛とは(「もしそのようなものがあるならば」)そもそも狂気なのだ。「私はあなたを愛している」というとき、私は狂人なのであって、そしてその狂人の決断によって愛は確かに(また、不確かに、不確かであるがゆえに常に決断を要求するものとして)存在する。
- 作者: ジャックデリダ,Jacques Derrida,堅田研一
- 出版社/メーカー: 法政大学出版局
- 発売日: 1999/12
- メディア: 単行本
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ゼロ年代洋楽ベスト10。愛って悲しいね。
世のひとびとは誰も彼もが忙しげ、端的にひきこもりであるわたくしめもしかしいっちょまえに忙しい忙しいなんて言ってみている今日この頃。だってそりゃ世間は師走も師走、年の瀬だぜ年の瀬。ところで僕は年の瀬という言葉が好きだ。としのせ。この、せ、のところがいいよね。ひかえめな感じがして実にいい。実に。そんなことはどうでもよくて、ゼロ年代ももう終わり、いつまでも決断主義だとか言ってる場合ではなくて、いっそいでゼロ年代を総括し葬らねばならないのです。
というわけで、個人的ゼロ年代小説ベスト10!!をやろうと思ったけれど、ちょっと分母が多すぎてすぐには総括しきれないので、とりあえずビール、的にとりあえず洋楽ベスト10、をやろうかな、とも思ったけどもでもあれだな、僕はとりあえずビール、とか言って結局そのあともずっとビールばっか飲んでることが多いな。今度からとりあえずじゃなくて普通にビール、あるいは本気でビール、と給仕に注文したろうかな。なんてことはマジでどうでもよくて、分裂症的な語りももうやめよう、洋楽ベスト10を発表。
- Arctic Monkeys "Favorite Worst Nightmare"
- Arctic Monkeys "Whatever People Say I Am, That's What I'm Not"
- The Strokes "Is This It?"
- Björk "Volta"
- The Raconteurs "Consolers Of The Lonely"
- The Libertines "Up The Bracket"
- Franz Ferdinand "You Could Have It So Much Better"
- Patti Smith "Twelve"
- The White Stripes "Icky Thump"
- Battles "Mirrored"
出会った時のインパクト重視で選んでみた。
1:はアクモン。1stを聴いたときの衝撃、そして1st→2ndの変わりっぷりにまた衝撃!!
3:やっぱり外せないよねストロークス。ゼロ年代のバンドの多くはストロークスの影響があるわけで。
4:人文系はわりとみんな大好きビョークの姐さんです。武道館ライブではとにかく声量にびびった。あんな声があったら何歌ったっておk。まさしく天才。
5、9:ジャックさん。いぶし銀のロック。かっけえ。
6:これぞロック・ヒーローなピート君。実はジュネやらボードレールやらを愛読しているという文学青年なところもいい。いい加減再結成しろ。
7:変拍子とひねりの効いたメロディ・ラインがクセになる。「女の子が踊れるようなロックが作りたかったんだ」とのことだが、ゲイっぽいよね。
8:パティ・スミスによるカヴァー・アルバム。Gimme Shelter素晴らしい。このひとは僕のあこがれの女性のひとり。
10:バトルズはちょっと地味だけどもw本当にすごいエクスペリメンタル・ロック・バンド。日本での知名度はいまいちなのか?ロックが好きな人は頼むから一度聴いてみて欲しい。頼むから!すごいから!→Battles - Tonto - YouTube
次点を挙げているとキリがないから止すけれど、レイザーライトとかフラテリスとかCSSとかカサビアンとかも好き。特にカサビアンのライブはもいちど行きたいなあ。
ちなみに邦楽はほとんど聴かないのでテンでわからないけれど、例外的に椎名林檎と東京事変、上原ひろみは聴いていた。
あとはミドリ。大阪発のパンクバンドで、3年間くらい応援しているのだけど徐々に売れてきていて嬉しい、「大阪のいびつなJUDY AND MARY」、皆様ミドリをどうかよろしくお願いします。
「民主主義2.0」という名前ってどーよ
あずまんが最近ぶつぶつつぶやいている「民主主義2.0」というのは彼が来年に出す本のタイトルらしい。どうも情報技術によって一般意志を実装できるのではないか、という途方もない試みだとか。注目。
で、内容はさておき、「民主主義2.0」というのは名前としてどうなのよ?
まず感じるのはちょっとダサいということだ。ダサめ。そしてなんだか若干ふざけているような感じがする。「2.0(笑)」みたいな。
しかしそのような、新たな概念の名指しとして致命的ではないかと思える欠点を抱えてはいるものの、僕は結構好きだ「民主主義2.0」。
まず、政治の言葉である「民主主義」と情報技術で馴染みのある「2.0」を結びつけてみせたのは、今日この時代が、(良くも悪くも)「政治と工学が短絡してしまう」時代であるという「情報自由論」での議論を背景にしている。
また、「2.0」があるということは、「2.1」や「2.1.1」が、そして「3.0」があり得るということだ。「2.0」がだめだったら、単にヴァージョンアップすればよいのだ。「2.0」はファイナル・ヴァージョンではない。デリダは「来たるべき民主主義」と言った。デリダにとって、真の民主主義は常に「来たるべき」ものであった。民主主義は常に未完成である。不可能でありながら同時に可能的なものとしての民主主義。「2.0」には決して到来しないが故に常に来たるべきものである真の民主主義への希望が込められている。
桑田佳祐再評価運動開始
「音楽寅さん」の総集編を観ていたら、あれ…ひょっとして桑田佳祐って天才なんじゃね…?という気がしてきた。よく考えたら曲はもちろんのこと、歌詞も実にさりげなく詩的で素晴らしいし、実はポール・マッカートニー級なのでは…?身近すぎて今まで気付かなかった…。両親がサザンを好きで、僕も子供のころはよく聴いていたんだけれど、ある時期からJ-POP全般を嫌悪するようになってしまって、桑田も聴かなくなってしまっていた。典型的な厨二病であったのだった。しかしこれを機に桑田再評価をしなければ!!
ちなみに僕は「希望の轍」が一番好きです。
"振り返る度に野薔薇のような Baby love"
素晴らしい!!
労働と承認
労働にはふたつの側面がある。
(1)収入を得る手段
(2)承認を得るステージ:アイデンティティに関わる側面
どちらをどれくらい重視するかによって、労働をめぐる問題に関する議論というのは全く変わってくる。
マルクスは労働とは本来、人間を人間たらしめるもの、"類的本質"であると言った。しかし、ブルジョワ資本主義化では労働と人格は切り離され、労働者は本来の労働から疎外されてしまっている。マルクスは、労働者をそのような非人間的な労働への疎外状態「から」解放し、さらに、本来的な、類的本質を備えた労働「へと」解放する革命の必然性を説いた。多少乱暴だが、アーレントの用語を使えば、laborからworkへの解放ということになるだろう。
このような議論は今日では「労働は本来人間の類的本質であるっ!(キリッ)」みたいな感じの扱いだがw、まあでも労働は確かに、承認を得るステージとして機能している、あるいは、機能していた。
で、このごろの産業構造の変化、新自由主義化⇒非正規労働の増加の流れで、(2)の側面がやばいと。非正規労働の場では、十分な承認を得るのは難しい。で、そういう労働のかたちというのは、よろしくないと。
しかも地域的つながりとか家族的つながりとかも弱くなっているので、さらに労働でも承認得られないとなると、承認不足でやばい、と。そんなんだと赤木論文みたいに、「俺たちには人間の尊厳がない!」→「よろしい、ならば戦争だ」みたいになっちゃうよ、と。ちゃんと労働で承認を得られるようにしろ、と。なるほど。
でも、なんかもう政策とかの議論では、労働は(1)で割りきっておくしかなくて、承認に関しては、適当に各人が趣味なりネットなりでなんとかするしかないんじゃね?ということを考えている。例えば主婦はずっと、そういった労働での承認からは疎外されてきていたわけだけど、では主婦が全員不幸だったかというとそんなことはなくて、友人なり趣味の仲間なり育児なりから承認を調達してきたわけだし。
このごろ赤木さんのTwitterでのつぶやきを読んでるのだが、実は赤木さんの抱えている不幸というのは、かなりの部分文学的なものなのではないかという気がしていて、そこらへんからこういう考えが強くなってきた。あるいは僕が新自由主義的な考え方に浸っているのかもだけど。