太宰治『パンドラの匣』

パンドラの匣 (新潮文庫)
映画を観てなにやら釈然としない気持ちが残ったので原作をあたってみた。そしたら映画が小説のイメージをかなりのところまで忠実に再現していたのだということがわかってほぉおん、と感心。と同時に、映画版のあのポップさに収まらないある種のエロティックさ、毒気のような部分は、話の筋の重要なところを変えてつくった独自のものであることが判明。なるほど道理で混乱したわけだ。小説『パンドラの匣』は、死の影とセットでイメージされがちな結核療養所を舞台にしながらも、しかし爽やかで青春で幸福な作品だった。

「書いて下さい。本当に、どうか、僕たちのためにも書いて下さい。先生の詩のように軽くて清潔な詩を、いま、僕たちが一ばん読みたいんです。僕にはよくわかりませんけど、たとえば、モオツァルトの音楽みたいに、軽快で、そうして気高く澄んでいる芸術を僕たちは、いま、求めているんです。へんに大げさな身振りのものや、深刻めかしたものは、もう古くて、わかり切っているのです。僕たちはもう、なんでも平気でやるつもりです。逃げやしません。命をおあずけ申しているのです。身軽なものです。そんな僕たちの気持ちにぴったり逢うような、素早く走る清流のタッチを持った芸術だけが、いま、ほんもののような気がするのです。」

ひばりのこの台詞には、戦中の彼が持っていた捨て鉢な悲壮感などはまるでなく、ただ古い時代の桎梏から解き放たれ、無邪気に希望を求める自由な精神が、「かるみ」がある。
この小説は、1945年の10月から翌年の正月、まさしく終戦直後に新聞小説として連載されていたのだという。あらゆる不幸を撒き散らしたパンドラの匣に、それでも最後に残っていた「芥子粒程の希望」となることを願って、太宰はこの奇妙に心地よく幸福な療養所の物語を世に送り出したのだろう。